【無名人インタビュー3】ブラック企業で働いていたけど、気付いたら文学青年からケモナー筋トレおじさんに転生していた

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みなさんこんにちは。芸能人でもインフルエンサーでもない、「一般人のかた」にインタビューしてみる企画の第3弾です。

前回は常識に囚われずにローストビーフの塊を手づかみで食べるロリータ女性、前々回は年収100万で無欲の生活を送るフリーター男性に話を伺いました。

今回は、新卒での就職を失敗して心身ともに大きな変貌を遂げてしまった男性をご紹介します。ブラック企業には入ってはいけない!それは知ってるけど入ってしまったら実際どうなるの?こわれちゃうの?なおるの?

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K氏の自画像

自画像

・Kさん

・34歳

・都内在住

・ケモナー(本人による注:いろいろ定義はありますが、ざっくり言うと動物キャラ、擬人化された動物キャラ(獣人)などを愛でるオタクの一種です。たまに私のように人類を滅亡させて動物たちに地球の支配権を委ねようと主張する過激派もおります)

———久しぶり!今日はそろそろ入社シーズンということで(インタビュー自体は3月上旬に行われましたが、Kさんの校正の遅れにより公開が4月にずれ込みました)、Kくんの20代の頃の話を改めて聞こうと思ったんだよ!ヘルマン・ヘッセや島崎藤村が大好きだった文学青年が、就職活動に全面的に失敗したために獣人に欲情して自分でもエロ小説を自作したりする人間に変貌したこととか…

俺もなんで今こんな人生になっているのか、自分でもよくわからないんだよ。朝起きたら虫になってるより不条理だと思うよ。しかし私のような人がいることを若人に知って貰うことで「人生どうにでもなるな、捨てたもんじゃないな」くらいに思って貰えるなら、それはそれで意味があるのかなと。

———ありがとう!まず懐かしい話だけど、大学時代Kくんはよくヘルマン・ヘッセの話をしていたよね?

うん、なんといっても「デミアン」には影響を受けたからね。「世界が、僕のような人間に不要の烙印を押し、素晴らしい地位も、高尚な使命も与えようとしないのなら、僕のような人間は腐り果てるのが当然だろう。その結果世界が損を被るとしても、それは僕の知ったことではない!」とか、そういった一文一文が、何者にもなれずに悩み苦しんでいた自分の心を深く打ったわけで、今でも一番好きな作家です。神学校を退学した後、再入学した高校をすぐに中退して本屋に就職するも3日で退職願を叩き付けて親の脛かじったり時計台の歯車を磨きながら這う這うの体で生きて詩人デビューしたってのが、俺を含めた全世界のボンクラの魂を揺さぶるんだよな。

K氏の愛読するヘルマン・ヘッセの名著。

Kさんの愛読するヘルマン・ヘッセの名著。

———その、何者にもなれず、の部分だけど…

本当に大学卒業して何者にもなれなかったのにはさすがに参ったよ。就職活動でだいたい130社落ちたんだよね。やっぱり文学青年だったから出版社とか図書館とか本屋とか、とにかく本に関わる仕事がいいなと思って受けまくったんだけど100社くらい落ちた。残り30社はさすがに焦って一般企業を受けたんだけど、ゼ××××(インターネットでよくブラック企業として叩かれている会社)や×××託(同)すら落ちたのはさすがに落ち込んだよ。まあ、今から考えると、俺が一般企業の人事担当者だったら俺みたいな奴は真っ先に落とすが…

———ヘルマン・ヘッセの小説の主人公並みに自己肯定感が低いですね。

落ちた会社が経営するお店の前を通ると胸が苦しくなります。

落ちた会社が経営するお店の前を通ると胸が苦しくなります。

そのまま何も考えず東京に出てきて池袋の風呂なしアパートに住むとか、客観的には完全に判断を誤ってるんだけど、でもあの頃の自分には、死にたいくらい憧れた花の都大東京に行くしか考えられなかったから。

———JASRACから怒られたくないので、長渕の話は控えめにお願いします。

でさあ、池袋の風呂なしアパートに住んで、貯金だって卒業直前に治験で稼いだ20万円くらいしかないわけよ(睡眠薬飲んで1週間寝てるだけで20万円!)。どうすんの、という話だけど、たまたま豊島区内のとある出版社がバイトの求人を出していたので履歴書を持っていったら受かった。そこで1年くらい勤めたね。

———よくその会社も池袋の風呂なしアパートに住む22歳の無職をバイトとはいえ採用しましたね。

感謝しかないです。左翼的な出版社だったから弱者救済の一環だったのかな。やったことは雑用だけだったけど。で、1年経ったあたりでさすがにこのままじゃいけないなと思って、ハローワークで「出版社 東京」とか適当に検索していたら、月刊「J」の編集部の求人を見つけたんですよ。これが俺のライク・ア・ローリングストーンの始まりだった。

———出ました、月刊「J」!最近になってインターネットでかなり熱い話題になってるよね、新聞広告とか。

「J」は本当に中身は素晴らしいんですよ。あれを読まなければ宗教界の現実は分からないと言っても過言ではない。ハイエナズクラブの読者にも心の底からお薦めできます。でも、それを作っている側は、控えめに言っても修羅界でしたね。

———雑誌の現場はどこも大変だって聞くけど…

まあそれはその通りで、出版社ってよほどの大手でない限り大なり小なり『やり甲斐搾取』してるからね。「J」はお坊さんによるお坊さんのための雑誌だったから、きっとほのぼのとした職場なんだろうな〜と思っていたらすべてが間違いでしたね。時間外労働は毎月絶対に100時間オーバー、民事訴訟を中心に生臭い取材が多いから精神力がみるみるうちにすり減っていく、総大将(上司)の説教はものすごく長いときたもんです。しかもその説教が的外れなら諦めもつくけどだいたい的確なんでかえって精神を痛めつけるんですよね…

———総大将が有能だったからこそ、感じるストレスも大きかったということ?

本当にあの総大将は有能です。今でも編集者としてはとても尊敬しているんだ。でも、普通の人の3倍くらい働ける有能な人って往々にして「俺はこれくらいできるんだから、他人だってこれくらいできるはずだ」と考えがちなんですよ。まさに他人にも自分と同じくらい働くことを求めるタイプでした。でも総大将と同じくらい働くことなんて常人には無理。私の前任者に至っては3週間でバックレたからね。とにかく人材の定着しない職場でした。総大将はタイプとしては野依秀市と斎藤十一を足して二で割ったような編集者だった。

———でも、そこで3年間勤めたんだったよね。

「Jに1年いたら大したもんだ」と言われるようなところに3年いたのは自分にとってはすさまじい経験値を獲得できました。毎日はぐれメタル倒してたようなもんだし。まあはぐれメタルのいる所にはドラゴンとかキラーマシンもいるんだけど。それはさておき時間外労働が毎月100時間以上、最長で25日連続勤務の犠牲は大きかったよ。だいたい1年経ったあたりで朝まったく起きれなくなって夜まったく眠れなくなって「死ぬかも」「死にたい」以外に何も考えられなくなったし、駅で山手線の電車が向かってくるたびに「今せーので飛び出したら楽になれるな」と思ったし(当時はホームドア未実装)、橋の上を歩くたびに「ああ、ここを乗り越えて落ちたら全部終わるんだな」と密かにほくそえんだよ。

2008年、宅飲み中に職場から電話がかかり、土下座しながら上司と話すK氏。

2008年、宅飲み中に職場から電話がかかり、土下座しながら上司と話すKさん。

———あまりヘヴィな話になると読者もついてこなくなるので、お手柔らかに…

じゃあヘッセの文章を引くに留めておくと、「なぜずっと前に、あの枝にぶら下がってしまわなかったのか、彼は自分でもよくわからなかった。覚悟はきめていたし、死はもう決まったことだった。当分の間はこの状態でよかった。遠い旅立ちを前にした人がよくするように、かれもこの最後の数日に美しい陽光と孤独な夢想を味わいつくすことをわざわざやめることはなかった。旅立つことはいつでもできるのだ。手はずはすっかり整っていたのだ。もうしばらくの間、これまでの環境の中にいて、自分の危険な決意を夢にも知らない人々の顔をのぞいてやることも、彼からみるとなかなか変わった意地の悪い喜びだった。例の医者に会うたびに、こう思わずにはいられなかった。『まあ、いまに見てろ!』」(『車輪の下』岩淵達治訳)という具合だったんですよ。

———医者といえば、その頃医者に行ったんだったよね?

うん、とにかくこのままだったら死ぬと思ったから職場から少し離れた病院に行って、すべての事情を洗いざらいぶちまけたら鬱病と診断されて「それはもう仕事を辞める以外に根本的な解決はないです」と言われたんだよ。それはその通りだったんだけど、だからと言ってすぐに辞められますかって話だよね。

———辞めても生活費はかかるし、履歴書に空白期間が出来るのが怖かったりしてなかなか踏ん切りがつかないよね。

いや、本当は辞めていいんだよ。むしろそうすべきだった。でも、就職活動で130社落ちたことがトラウマになっていた自分は「今の仕事を辞めたらまた130社落ちるかもしれない」「そうなったらどうしよう」とか考えてしまうんですよね。どうしようも何も、普通に考えたら仕事続けて自殺するよりは仕事なくても生きてる方がずっといいに決まってるんだけど、そういうことを考えられなくなってしまうんですね。これが鬱病の怖い所なんよ。
そこで薬を貰って飲みながら仕事を続けていく方向にしたんだ。

———薬は何を飲んでいたの?

私はパロキセチン(いわゆるパキシル)とスルピリド(いわゆるドグマチール)、あと漢方薬です。医者がいわゆる3分診療の人で、とにかく面談時に「早く仕事辞めなさい」くらいのことしか言わずにドバドバ薬を出してくれるんですよね。断っておくが、少なくとも私にとってはそれは良かった。とにもかくにも死なないで済んだのはパロキセチンとスルピリドのおかげですし。

———でも副作用凄かったようだね。

そう、抗鬱剤の副作用は人によって異なるから一概に言いづらいけど、私の場合はとにかく太った。これはスルピリドの食欲増進の効果だけど、一方でパロキセチンの「自殺念慮もろともあらゆる感情を鈍麻させる」という効果により何食べても美味しくないんだよ。美味しくないものを大量に食べてみるみるうちに太っていくというの、本当に悲しかったし、大学時代は55キロだった体重が恐らく80キロ超にまでなってたはず。

スーパーの半額になったカツ丼ばっかり食べていたそうです。

スーパーの半額になったカツ丼ばっかり食べていたそうです。

———あの頃のKくん、達磨大師みたいな感じの見た目になってたからね。

眠るために睡眠導入剤と酒も併用してたし、まあまともな生活じゃないね。子どもの頃憧れていたロックスターとその辺りだけは同じことをしてしまった。

———ロックスターといえば、セックスの方は?

よくぞ聞いてくれた、ここからがこのインタビューの本質になっていくんだが、パロキセチンの副作用でオティンティンがピクリともしなくなったんですよ。ただの泌尿器、ジャスト・ア・泌尿器。マジでエロ本だろうがエロビデオだろうがどんなヴィジュアルショックで刺激しても勃起しなくなったし、物理的に触っても完全に駄目だったよ。どうしてエレクチオンしないのよ〜っ!と小池一夫先生風に嘆いたよ。

———話が下の方に及ぶと急にイキイキし始めたね!

次ページへ続きます!

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