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お世話になっております。ケアムーラです。
私が携帯電話を使い始めたのは、1999年の9月でした。今は2019年なので、もう20年以上経っています。
先日、「10年では早すぎるが、30年では遅すぎる」という言葉を目にしました。20年というのは、何かを振り返るのに良い頃合いなのかもしれません。
これまで使ってきた携帯電話の機種を振り返りつつ、これら古い端末に他の使い道が無いか考えてみたいと思います。
鋭い方は気付いたかもしれませんが、使い道の結論についてはタイトル通り「貯金箱にする」であって、実態は携帯1台1台の思い出と絡めた純粋な自分語りです。今回も当クラブのコンセプトである「誰も興味のないことを誰よりも詳しく」を遵守いたします。
自分の来し方行く末を考えるキーは、日々の生活と共にあった携帯電話、および、それを通した人間関係にあると思います。よろしくお願いいたします。
■初代携帯、J-PHONE J-T02。1999年7月発売
1999年の9月、私が高校1年生の時に親に買ってもらいました。4月に高校入学すると、クラスメイトの3〜4割が携帯を持っている状況でした。最初は、なんとなく欲しいけど電話なんかしないし必要ないかな、と思っていました。ですが6月くらいにポケベルが激安で売られていまして、友人と一緒に安いからという理由で購入し、カタカナだけのメッセージのやりとりをしてみると意外と楽しく、ちゃんとしたメールもできる携帯が欲しくなったという経緯です。
電話帳やメールのデータは全部消えていましたが、単音の着メロが懐かしいです。私は尾崎豊のOh my little girlを着メロにしていました。マナーモードにし忘れて授業中に鳴らしてしまい「誰だよ携帯鳴ってるの・・・ん、この曲は尾崎・・・?ということはケアムーラ君か!」ということがありました。
バッテリー容量630mAh。今のスマホは3000mAhくらいが標準でしょうか。
これはJ-PHONEですが、最初は同じキャリア同士でないとメールができませんでした。1999年の12月にTU-KAの機種ともメールができるようになり、そこから学校での携帯所持者が増えたような気がしますね。高校生だけあって、好きな人の番号を聞いてメールのやりとりをしたいみたいな欲望が渦巻いている人もいましたね。私は別の高校に行った中学時代の友人に、今でいうツイッタラーの短文ネタツイートのようなメールを深夜に連投しまくり「今後の連絡は全てシカトします」と返事が来て、以降20年間音信普通です。みずっち、もしこれを読んでいたら連絡を下さい。謝る機会を下さい。
■2代目、J-PHONE J-SH03。2000年5月発売
これも無事通電しましたが、液晶の下半分がおかしくなっています。機種変更時、「すごい!カラーだ!着メロが和音だ!」と興奮したものです。立てるだけの充電台は今も昔も便利ですね。
メールは全部消えていましたが、アドレス帳は残っていました。かけると一週間以内に事故に遭うという「貞子ダイヤル」、覚えていますか?あとはオッサンの唸り声が聞こえる「宇宙のパワー」とかありましたね・・・
電池ケースを開けてみると、膨らんだ電池パックに「B」と修正ペンにより手書きされていました。思い出した。この機種を使っていた時期の後半、異常に電池が早く減るようになり、電池パックを2つ持ち歩いていて、充電され具合を区別するために「A」「B」と書いていたのでした・・・高校生の知恵・・・
ボタンを押すとシュッ!と飛び出るアンテナです。当時携帯グッズ界隈は非常に盛り上がっていて、ストラップ類から電磁波防止シールとかいう怪しいものまで色んなものが売られていて、凄く楽しかったですね。私は当時は携帯のアンテナを集めていまして、面白半分にやたら長いやつとか買って悦に入っていました。長ければ長いほど「良い」とされていました。部族の風習みたいですね。
当時の自分が「将来、携帯からアンテナというものは無くなる」ことを知ったらアイデンティティが崩壊したことでしょう。
これは修学旅行の時、やたら長いアンテナの携帯で電話している私です。今見返すと心が苦しくなるだけの写真ですが、恥をかいて成長するのが人間だと思いますのでここにシェアします。
■3代目、J-PHONE J-P51。2002年5月発売
浪人生から一人暮らしを始めた大学1年生の半ばまで使っていた機種です。ついに写メールが登場しました。
裏面をスライドさせてカメラを登場させるのがかっこいい。パケット代が相当かかるので写真を人に送るというようなことはほとんどしませんでした。ですが一度、スーツを着るかっちりとしたバイトをやったことがあり、その際の写真を親に送ったことがあります。「ちゃんとした格好で働いている姿を見て涙が出てきた」と返事が来ました。いい話ですね。私も将来自分の子供が働く姿を見たら泣くと思います。
この頃パナウェーブ研究所がネタ的に流行っていて、そのシンボルマークの巨大クッキーを作っています。当時ノートパソコンは持っていたもののインターネットには接続していなかったので、このような写真を世に出すということをせずに済みました。インターネットをするためには徒歩30分かけて市立図書館のパソコンを使いに行く必要があり面倒だったため、基本的な外界との接触手段は携帯です。携帯で接続するネットなんて重いしパケット代が気になるしで結局はメールがほとんどでした。
■4代目、vodafone V301D。2003年11月発売
大学1年生の後半に機種変更したものです。この頃は人間関係でのヘビーなつまづきがあり、鬱寄りの躁鬱で病んでおり、辛い記憶ばかり閉じ込めた端末です。当時の日記を読み返すことはできます。でも当時のメールのやりとりを読み返すことは今でもできません。
この画面から先に進む勇気が出ませんでした。「時間が解決する」なんて嘘ですからね。一時的に忘れることはできますが、一生背負う傷や後悔や黒歴史というものがあります。
そんな激動の端末なわりに、裏面にはのんきなシールが貼ってあります。そういえば恋人とのプリクラを電池パックに貼るということのない人生でした。
この携帯に残っている思い出でポジティブなものは、昼ドラの「牡丹と薔薇」を見ながら友人とメールしていたことですね。今でいう実況中継のような、ハッシュタグ付けて感想ツイートするような感じですね。放送開始1時間前から「あと1時間」といったメールを。パケット代をかけて。放送が始まると「ゆきおさん!」「ぼたん!メチャクチャにしてやる!」みたいなやりとりをしていました。
■5代目、vodafone nudio V602T。2004年11月発売
歴代携帯で一番のお気に入りです。縦に直立するのがウケます。ウケないか。そしてこれには「くーまんの部屋」という待ち受けアプリが入っていまして、画面を開くたびに何か喋ってくるのに癒されましたね。
GPSで現在地を判断しているのか、その土地に絡めた話題をするのが楽しかったです。ライブ観戦や就職活動で県外に行く時は、くーまんが何を喋るか毎回楽しみでした。私が成人後にぬいぐるみと話す部類の人間になった一因はこのくーまんにもあるかと思います。登録した私の名前で喋りかけてくるので、この携帯の中のデータは生きていると思われますが、当時の暗証番号を忘れてしまいロックを突破できません。この記事を書き始めた8月中旬から、0000から順にひとつずつ暗証番号を入力して総当りするということを始めました。現在0700まで来ました。デザイン性を重視した機種だけにサクサク入力できず、「暗証番号が違っています」の後に画面が戻る速度も遅いので亀の歩みです。
■6代目、au G`zOne TYPE-R。2005年7月発売
vodafoneに嫌気が差してauになりました。ここで、携帯会社が変わったことによりメールアドレスを変え、変えたアドレスを連絡する、という行為を初体験しました。この人にはもう連絡しないだろうしいいか・・・と、伝える人を取捨選択していくわけです。これは、人が大人になる重要な成長のプロセスかと思います。ゲームのファイアーエムブレムで「このマップに誰を出撃させるか」、みたいなことで悩みましたが、これはやり直しの効かない現実世界の取捨選択。今では縁が途切れるのもまたひとつの縁と思って連絡しない人が大多数ですが、22歳の当時は悩みましたね。しかし悩みに悩んで変えたアドレスを連絡した相手から「久しぶり!今度遊ぼうよ!」みたいな連絡が来ることはただの一度も無かったため、結果論でいえば悩む必要はありませんでした。
この頃はまわりの人も着うたとかを普通に使っていましたね。私は、メールが来るとドラえもんが「メール来てるよ」と言う着信音を使っていました。映画エクソシストのテーマ曲で朝起きるというようなこともやっていました。若い。これも成長のプロセスです。
ウインナーの食べ比べをしていますね。
メモ帳に残っていた、14年前に私が欲しかったもののリスト。今見返すと「何でこんなもの欲しかったのだろう」というものばかりです。他にも「老後3000万必要なため、社会人になったら1年に80万貯金する」というメモもありました。最近老後2000万問題が騒がれていますが、当時は3000万必要と何かの本に書いてあったんでしょうね。当時からメモ帳に書くほどこの問題を認識していたわりに、今の預金額を確認するとその少なさに笑っちゃいますね。社会人になってからのこの13年間、何をしていたんだ。